具体例を言うとデパート
1990年代なら、当時人口10万未満の「市」でも、一等地にデパートがあって商店街がにぎわってた。県庁所在地クラスなら市街地にデパートが複数あった。
2000年代になるとそういうのが一斉に閉店した。つまり県内○○地域の代表都市みたいな「ただの市」からデパートが消え、商店街が死んだ。県庁所在地クラスの街でもデパートが次々閉店した。
2010年代になると県庁所在地からもデパートが消える街が出てきた。つまり県内のどこにもデパートがないということである。
2020年代の今、地方都市そのものが死につつあるといえる。
「デパートがない」って文化的損失だと思う
デパートは高級品を売ってる場所だし、東京や海外の上等な文化が流入する拠点でもある。つまり上位の文化が地方から消えているということだ
これを俺はスゴイ危惧しているんだけど、わかる人いないのかな
>>2
そうなんだよ
高齢化で老人だらけなのはわかるが
現役世代さえやつれてる。なんなら高校生にも覇気がない
田舎はマイルドヤンキー(DQN)が多いっていうけどほんとに廃れた地方に行くとヤンキーすらいない
というかマイルドヤンキーって「底辺」ではないと思うんだ
>>3
人口10万未満の「ただの市」にはイオンモールは立たないんだよ
食品スーパーに毛の生えたイオンスーパーセンターやイオンタウンが限界
そしてイオンモールが建ったところでそこにあるのは安物消費文化でしかない
デパートでは上等なブランドの服を売り、まともな家具を売り、デパ地下でごちそうを売っているが
モールではGUの服か、ニトリの安物家具、見切り品の総菜しかない
あれ、俯瞰してみれば
人口も所得も細る一方の地域に上がり込んで
中央の大資本がむしり取るだけの装置だと思う
「損益分岐点」を超えれば撤退して終わり。その頃には地方都市には何が残っているだろうか?俺はそれを恐れている
有名デパートだって地下の惣菜売場や駅弁大会や物産展で生き長らえてる状況
そうはいうけど
つい20年前までは、田舎県の人口10万未満のような片田舎にそごうや三越があったって考えるとすごくね?
そんな時代は良い服着て買物に行って最上階レストランで食事して帰ってくるのがステータスだったから
令和の時代に誰もそんなこと求めてない
よそいきの「良い服」を買うばしょがもうないんだよ
>>9
そうこれなんだよ
デパートがない=底辺化している
逆に言えばだよ
平成時代までは田舎も富裕層がいた
炭鉱の時代に儲けた人、資産家、名士みたいなのがいたということ
そいつらをまわって外商が稼ぐモデルが田舎にもあった
それがなくなったということだわな
昔の田舎って人口が少ないとか
方言がきついとか、マクドナルドがないとか、東京に比べた「格差」はあったけど
田舎社会なりに、その中に貧乏人もいれば金持ちもいた
そしてそういう上下の人を見ている中でなんとなく「平均値」が算出され、その平均値的田舎者(言い方失礼)でも
たまには晴れ着を着て市内の一等地のデパートに行き、大食堂でごちそうを食って、デパート券とお父さんのボーナスつかって家族で買い物をしたりした
けどいまの地方都市を見ていると、「底辺層」しか見えないの
ものの見事に無気力化した貧しい人しかいないようにしか見えない
俺はこれを危惧している。西成区とか馬鹿にしているうちに、田舎は県まるごとそれになってる
金無しよりこの国の思想的貧しさのほうが怖いわ
ようは国の政策でああなってた
日立市がものっすごい勢いで人口落ちていってて感動すら覚える
>>30
そう
俺が言いたいのはそういうこと
日立といえば炭鉱はもちろん、日立グループの企業城下町だった
ようは日本の地方都市は、昔は、炭鉱や製造業がある場所は
経済力があり、金持ちがいて、外商ビジネスのデパートが成り立っていた
その地域の経済力の恩恵にあずかることで平均値的中流層もたまには晴れ着してデパートの大食堂で家族親戚一同そろってごちそうみたいなことができた
そういうのが死んだのがこの30年だと思う
安定した働き口がない、公務員が頂点で百姓やってる奴以外は介護職か物流か、見たいな世界になると
地方都市は「すべてが底辺層の論理」に支配されるようになる
たとえば昔の日本では
都会も田舎もほどよくマイカーが普及し、公共交通だったわけ
「一家に一台クルマがあり、通勤手段は公共交通」が常識だった
けど田舎は例のイオンモールとかで、車社会が一般化して鉄道は廃線になり、バスも空気輸送からの廃止の流れに
すると田舎は「一人一台クルマ、家の目の前の道路からまっすぐ表通りに出た角にある徒歩3分のローソンにも車」の世界だ
ところが都会人は逆で若者の車離れが起きた。高齢者は免許返納で車離れ。上も下も車離れなので、働き盛りの世代も車を手放してカーシェアリングとかに移行しつつある
しかし田舎に住んでいると「クルマは持たないのが当たり前」が最先端の日本人の常識だと信じられない
なぜなら自分も、お隣さんも、別の街に住んでる親戚も、はたまたま遠くの田舎県も、同じような田舎環境では誰もかれもクルマ移動が当たり前だから
自分の可視範囲の直接的な常識だけを過信し、現実の日本の常識と齟齬があることに気づかない、気づいたとして間違ってるのは向こうだと思うようになる
これが階級社会だと思う
本当の底辺層は自分が底辺だと気づかない。なぜなら自分の同級生、同僚、親戚、隣近所みんな底辺しかいないから
例えばずっと昔からやってるような祭りがあってそれにかかわる町内会なり執行委員会が機能してる
そういうのが文化だ
>>46
そう
だから俺は「イオンモールがあるからいいじゃないか論」は大反対だ
なぜなら中央の企業による「消費の場」でしかないから
そういう昔からの共同体の人の蓄財が消えて費えるだけ。何も残らなくなる
俺はイオンモールが進出しなかった田舎の方がよほど文化的とさえいえる
例えば離島。離島は外部の自治体からマイカーで来客が物理的に困難なのでイオンモールが建たない
奄美大島とか今でも商店街がシャッター化せず元気だし、何しろ若者でも民謡を平気でやっている
https://www.youtube.com/watch?v=gAg4Rlbt3gE
早いうちにイオンモールが建ったような田舎では、民謡の類は高齢者(団塊世代以上)しかやっておらず、40代~60代さえ後継がおらず、まして若者に地域文化が伝承されておらず存在していない
北陸とかそれでひどいことになってる
ちょうどあまちゃんとかあんな感じの
都市の貧困層がそれでも都市にしがみつくのは
本人曰くは「都市部にしか仕事がない」だが実際は違う
彼らが就労しているような低賃金の仕事なんて地方にでもいくらでもあふれてる
ただただ高校を卒業したら都市にでて自立みたいなトレンディドラマ的な価値観をかっこいいものとしてすり込まれてるからだ
こどおじ煽りとかもそう、上に書いた様なのと都市部の狭小な住宅事情で不可避の免責が足りず実家を出るというイベントをなぜか
全国的なものと捉えてまるでそれがいいことであるかのような特別な付加価値を与えようとしているだけ
だからどんな状態になっても彼らにとっては田舎に帰るのはダサいという理由で選択肢には入らない
俺の親戚で勝ち組と思えるいとこは
団塊世代の叔父伯母の家の子ども部屋に住んでるよ
団塊ジュニアのおばちゃんだけど、県職員で中堅クラスだ
拡大家族とか三親等の親族とかが大きな家に同居してる状態って滅茶苦茶生活様式として合理的だからな
スケールメリットが生かせる
なんやかんやで地元で根を張ってやっていってる
別にばかにされるような存在じゃないと思うよ
そうなんだよ
俺が言いたいのは「マイルドヤンキーになれないレベルの若者」がいくらでもいるってこと
俺のいとことかそうで、35歳にもなって今だにドラえもんとMステ見てるんだよ
けど「地元じゃそれが普通だから」って言ってる。いまだに処女だ
僕の地元も中心地の8階建ての百貨店跡をぶっ壊して
3階建ての新しい商業施設に生まれ変わるらしい
衰退してるわ
>>79
よくある田舎のデパート跡地の再利用パターンはこうだ
居ぬきで複合施設を作る→テナントが集まらず仕方なく役所系が入る→赤字財政を助長させて廃業→最終的に更地にして新施設を作る→これも失敗して閉店
この負の連鎖を繰り返したあげく、一流老舗デパートだった場所が最終的にただのローソンになった事例を俺は知っている
ある地方都市の話
デパートがつぶれた、跡地にドン・キホーテがやってきた
県内初だ、地域初だ、東京と同じ娯楽がやってきたと大喜びでにぎわった
それに合わせて周辺も猥雑な店だらけになった
だが、「老朽化」を理由に閉店し、更地になった
そしたらどうなったか。周囲はシャッター街になり何もなくなった
地方都市の死ぬパターンを見た
>>85
ドンキが「老朽化」で閉店したことに俺は違和感があった
なぜなら居ぬきした時点ですでに大昔のデパートの建屋だったから
それを高い金をかけて内外装をリフレッシュ工事しているわけで、本当に老朽化が問題なら最初から入店しないだろ?
それに新宿の伊勢丹なんか戦前の建屋で今も営業しているではないか。あれに比べれば戦後のデパート居ぬきなんか全然新しい
ようは「稼げなくなったので街を捨てた」だけなんじゃないかと
街の中心にデパートがあって駅前の商店街は繁栄してる
なんてのは昭和の価値観に基づく都市像でしかなくて時代が変わっただけだよ
娯楽はプロ野球のTV観戦が中心で、アイドル歌手は毎月ヒット曲をリリースして歌番組が大人気で、誰がどんなクルマ乗ってるとか次に出る新車がどうなるかがみんなの関心の的で
みたいな昭和の文化はことごとく消え失せただろ?
なのに都市だけは昭和スタイルこそあるべき姿と捉えてノスタルジーを追い求めてるのが間違ってるだけさ
>>89
昭和の時代は原宿の女子高生も田舎の女子高生も「聖子ちゃんカット」だった
けどいま、東京人の若者と津山の若者では恰好からして明らかに違うし、前提としてある常識も異なる。文化も違う
俺はそれが言いたいの
>>92
もちろん「聖子ちゃんカット」も文化資本だろうといわれればそれまでのこと
既製服を買う店や美容室もないようなガチの農村が40年前の日本には今よりはるかにあっただろうから
だけど俺が言いたいのはそういう本当の意味での田舎の田舎、そういう場所こそ、地方都市より今後は展望があるということ
今までのレスを読んでほしい
地方創生というと
東京のIT系エリートが離島で古民家改修のリモートオフィスでベンチャー事業をはじめたり
アレックスカーやアトキンソンみたいな物好き欧米人が里山に移住したりする話ばかりだろ
共通しているのは「イオンモールもないような辺鄙な場所」だ
そういう場所では辺鄙であるがゆえに地元の共同体が機能し、固有の文化、地域の存在価値が生きているということだ
地方都市は、ほとんどの場合街並みも残せていないし
あるのは下流「消費」文化だけ。そういう場所は本当に未来がないんじゃないかと俺は思う
離れ小島やガチの村と地方都市なら、地方都市の方がより便利で豊かだったのが昔の価値観
今はそれこそネットがあるので情報格差もないし、過疎地よりも県内中心の地方都市が日本の最底辺になるんじゃないかと俺は思っているし、実際なっている
>>90
消費しない下流でもない文化ってなにさ
昔ながらの町並みだって建て終え朽ち終わるまで消費の過程なんだ
祭りや町内会も祈念したり子供の面倒みたり清掃したり
そういうサービスを生産分配し消費している
山奥の昔ながらの集落みたいな環境が
なぜ消費的でなく下流的ではないのかよくわからない
市場的ではないという面はあるけど
王手資本が進出し周りの店を全部潰してその後ネット通販とかのあおりも受けて
不採算として撤退、後には何も残らないが日本ではイオンで再現されてる
まあ少し前に比べればイオン系列以外の生鮮スーパーが積極的に地方で展開してるのはまだ救いだが
中規模経営体の工夫と差別化でなんとか採算ラインまで持って行ってるんだろ
まだまだそういう状況はあると思うけど足の悪い老人が毎日コンビニに生鮮食品徒歩で買いに来てるみたいな地獄であふれてたからな
まず飯食うところに困るんだよ
魅力的な飯屋がないもそうなんだけど
何より町自体が機能的でないから手ごろな店ををたまたまタイミングよく見かける機会が減る
そうこうしてる間にあっという間にその土地を通り過ぎちゃう
愛媛は何回…まあ豚太郎かすけろくで済ますかってなったかわからんわ
駅まで無料送迎とか代行格安で手配とかして
んでその飲み屋に卸す魚屋とか八百屋とか入れるの
飲酒運転厳罰化で宅飲みしかできんとか言ってコンビニのストロングゼロになんぼ金溶けてるかわからんわ
酒屋はけしからんという方向じゃなくむしろ振興してみていいかも
イギリスのコーヒーハウスみたいにな
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