貧しいのは本人のせい?エリートに広がる「自己責任論」
“貧しいのは本人の責任”、“努力しなかった本人が悪い”。
いまの日本に広く行き渡ってしまった考え方です
ノブレス・オブリージュはどうしたんや?
勉強した方がいいという情報にアクセスしたり、周りが当たり前のように勉強している環境
忍耐強かったり理解力が高いといった勉強に密接に関わる遺伝子
これらの条件が揃って初めて人は勉強できるんだよなあ
ワイが今ええ暮らししてる代わりに苦しい思いしてる誰かが必ずおる
余裕のあるやつがそいつら助けないで誰が助けるんや?
今は余裕のあるやつがいないんやで
エリートですら必死扱かないつ脱落するかわからへん
>>12
「当然だ」っていうのはあまりに傲慢不遜だと思うぞ
本来強者が弱者を助ける義理なんてのはないはずだが、
社会的構造上一定の弱者が生まれてこれが問題化するし、
弱者と強者の資本主義、民主主義という一種平等化的な
政治・経済体制において歯車の役割をなす点必要なだけで
ようは「国家」としてみるか「個人の集団」としてみるか
身体に疾患が一つでもあると貧困層から這い上がるハードルが一気に爆上がりするからな
精神病系も脳の疾患だし
数年?
これからの正義でさえおそらく十年以上前だぞ
確か東大の国語でも出題されてたはずや
国民同士が憎み合い、分断するのは国が後退してる証拠なんやで
自己責任論は詭弁やと思う
マイケル・サンデル「学歴が高いのは100%親の遺伝と優れた環境による幸運のものだ。君たちは自分の努力でここまで来たと勘違いしてるのではないか?それは傲慢というものだ。自分が幸運ということを認めなければいけない。」
1990年頃から筆者の周りの大学生が、「成功は自分が努力した結果」だという考え方をするようになったと言います。
しかし、受験勉強に専念できる環境にあるのは、努力より運なのではないでしょうか?
(例えばネグレクトや家庭内暴力を受けているような子と、お金持ちで塾や家庭教師をつけてもらえる子の環境の違いは運でしかない)
いいや違う、私は厳しい環境の中、自分の努力若しくは才能で大学に合格したという人もいるでしょう。しかしその『才能』(努力できる才能も含む)も、自分が偶然持っていた特性ではないでしょうか。
機会を平等にしたとしても、偶然受験勉強に有利な才能を持っていない人は、這い上がることができないのです。
受験をテストにするくらいなら「くじ引き」で合否を決めた方がマシだ、と言っています。
くじ引きなら、高校生達が受験戦争で心を痛めないだけマシである、という事です。
(スタンフォードは実際にくじ引きで合否を決めようとした事があったらしいですが反対にあい頓挫したそうです)
出身大学によってその後の人生が決まってしまう事は、
合格者にも、不合格者にも、良い影響は無いのです。
合格者は、熾烈な競争を勝ち抜いた事によって合格は自分の手柄と思い込み、
「自分で勝ち取ったのだからエリートの席は当然」と、エリート以外を見下すようになります。
家が裕福で、一見順風満帆に見えるティーンエイジャー達の多くは、受験競争によって、不機嫌で、孤独で、憂鬱で、不安を抱えています。
不合格者もまた、「自分には努力が足りなかった」「才能が足りなかった」自己責任だと思い込み心に傷を負うのです。
サンデルは、学歴差別は最後の差別と書いています。
世の中勉強しないやつが大多数だからまともに勉強してりゃアホでも高学歴にはなれる
>>65
それはまともに勉強してないやつの中に「高学歴になれる程度の知性」
が備わっている場合と自然的に振り分けられる詭弁に見えるが
特に受験勉強なんて、「理解、記憶、応用」の効率の問題だからね
もろに知性や努力の才能が関わる話だよ
知能指数は約8割が遺伝要因で決まることが既に行動遺伝学で判明している
国民の下位3割くらいの層は小学校の内容も理解できないことが調査で分かっているし、英語講師のモリテツ曰く「日本人の大半は中2英語で脱落している」とのこと
上澄みに目を向けても地方の偏差値70(上位約2%)の高校ですら平均進学先はマーチより下
全体を俯瞰して見れば学歴が努力だけでどうにかなるわけがないことは猿でもわかる
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