突然ですが、「大学受験は平等な勝負だ」だとお考えではないでしょうか?
学力だけを測るペーパーテストで進路を決めるのですから、あたかも平等に見えます。
しかし、それは違います。
なぜならば、受験の結果は学力ではなくて「家庭の経済力」でほぼ決まってしまうからです。
「課金ゲーム化」する東大受験。学歴は結局、資金力でほぼ決まる
https://nikkan-spa.jp/1698451
東大生の多くは名門一貫校、名門塾の出身
10歳の頃からエリート教育を施す資金が必要
小学生 基本費用250万円
中学生 基本費用300万円+70万~120万円
高校生 基本費用300万円+60万~250万円
東大生を育てるには現在最低でも1000万の学費が必要な模様
何のために大学受験はあるのか?
というわけで、「普通の東大生」にはおおよそ1000万円かかってしまうことがわかりました。
高校の塾選択で一番高いコースを希望した場合には1000万円どころか、1250万円程度まで膨れ上がります。
そして、これらはあくまで順調に小学校から大学まで進めた場合の費用です。
小学校や中学、高校で躓いて補習用の塾に通ったり、家庭教師を雇ったりすれば追加で数十万~数百万円かかりますし、
大学受験で失敗して浪人して塾に通う場合にはさらに年間100万円がかかります。
僕はこの状況に対して警鐘を鳴らしたいと考えています。
「受験」というイベントは貧乏人が這い上がるためのイベントであると思っています。
貧乏人が一流のエリートに仲間入りするためには、大学受験でいい大学に入ることが何より現実的な手段だからです。
しかし、現実は違っているようです。
貧乏人はこんな受験エリート街道を進めないに決まっているのにもかかわらず、この道を通ってきた人たちだけで東大の合格者の大半が占められている。
これは東大受験が「課金ゲーム」であることを示す証拠であると考えます。
「貧乏人の子供は貧乏人にしかなれない社会」にしないために
東大受験に限らず、難関大学への受験が「課金ゲーム」となってしまうと、それは社会階層の再生産に繋がります。
平たく言えば、金持ちの子供は金持ちに、貧乏人の子供は貧乏人にしかなれない社会へとなってしまいます。
僕自身も世帯年収300万円台という貧乏な世帯の出身ですが、貧乏な暮らしを知っているからこそ、大人になったらお金持ちになりたいと願うものなのです。
そんな希望が「大学受験」というフィールドで早くも「金銭の暴力」の前に叩き潰されてよいものでしょうか?
そもそも生まれ持った能力や環境自体が「ガチャ」に近いものではありますが、
だからこそ大学受験というイベントは出生という名の「ガチャ」の結果に左右されないような、
できるだけ平等かつ一発逆転が可能なイベントであってほしいのです。
貧乏人が東大に行きにくくなっている現代の大学受験は、いったい誰のためのものなのでしょうか。
芸術系なんかもっといくで
大都市じゃないといい学校も塾もない
8,9割は実質高学歴と言ってもええんちゃうか
東大レベルだと差がつかない
アホくさ
階層論にしろSSM調査にしろいくらでも知的な蓄積あるでしょうが
教育格差を生んどる名門一貫校潰せばええんちゃうの
塾で勉強するからそんなことしても大差ないぞ
現実は東京出身ばっかり
上出来やろ
地方旧帝でもええやん
大学院まで行けば就職ええし
ええやん
文系は?
>>49
公務員なら学歴関係ない
司法試験や公認会計士も同様
民間企業はMarch以上ならコミュ力勝負
東大である必要はない
切り替えて自分の子供に俺俺ガチャ当たり引いたわって思わせる人生にした方が良くね?
それって格差を肯定してるだけじゃん
声上げないと社会はどんどん上の都合のいいように変わってくぞ
田舎には私立中学もいい私立高校もないわ
なおさら留学やらボランティアやら課外活動取り組んで披露しないと受からないんでしょ?
それならまだペーパーテストの日本式のほうが平等だ
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